秋深く、今年も山仕事の季節がやってきました。来年の登り窯の薪に使う、赤松の伐倒です。
私たちは自分の山を持たないので、毎年、村の方にお世話になり、赤松を伐らせてもらっています。
今年入らせてもらうのは、泰阜村唐笠集落のМさんの山。
泰阜村は山あいの村。山に囲まれたわずかな南向きの土地に、田んぼを作ってきました。
田んぼに太陽の光を入れるには、木を伐らなければなりません。
昭和30年代くらいまでは炭や薪などの需要があり、伐採が行われてきましたが、それ以降は木はなかなか伐られなくなってしまいました。
人の手が入らなくなった里山の森は、荒れて木が密生し、田んぼにも森の中にも太陽の光が入らなくなってしまいます。
私たちが薪をもらうために赤松を伐ることが、里山を本来の姿に戻すことでもあるのです。
まずは山主のМさんと実際に山を歩き、地境の確認や倒してほしい木、将来どんな山にしていきたいかなどをお聞きします。
先祖代々受け継いできた山に入らせてもらうのですから、山主さんの思いを共有することが、私たちの山仕事のとても大切な第一歩。
ただ木を伐らせてもらうだけではなく、そのあとの山の変移を見届けていく責任もあります。
今回は私たち草來舎と、ものづくりをいつも一緒に行っているNPOグリーンウッドのスタッフとで、スタッフの伐倒研修も兼ねて作業に入りました。
山からの木の搬出には、グリーンウッドが主催する山村留学「だいだらぼっち」の子ども達が参加するので、その下準備でもあります。
伐倒作業はとても危険な仕事。少しの気の緩みやミスが、事故につながります。
若いスタッフにも少しづつ経験を重ねてもらい、安全管理や伐倒技術の向上を目指します。
チェーンソーの音が山に響き、バリバリと音を立てて倒れる赤松。
木を倒す時はいつも胸がチクリと痛みます。
林業の先輩から「大木を征服したような気になっちゃダメだ。南無阿弥陀仏と感謝の気持ちを忘れるな」と教わりました。
倒した松の年輪を数えると、だいたい50数年、20メートルを楽に越える樹高がありました。
いろいろな方の山に入らせてもらい赤松を伐っていますが、どれも樹齢はそのくらいです。
やはり昭和35年頃、急速に林業が衰えていった後に里山の森が放置されてきた歴史を感じます。
秋の穏やかな日差しの中、落ち着いて、慎重に作業は進みました。
赤松とヒメコマツ、コナラを数本倒しただけで、山がとても明るくなりました。
これから枝打ちした枝条を、田んぼの真ん中で燃やしていきます。
燃やした灰や炭は、田んぼの肥料や土壌改良に役立つそう。
この後は、子ども達と集材してトラックに積み込み運び出す予定です。
(慶・葉子)